坊主頭にする前に悩んでいた事の本当の部分を改めて考えてみました。
このブログに中で、よく「薄毛・ハゲで悩んでいた頃は・・・」と、自分のことは棚に上げて今はもうハゲじゃない的に書いていますが、育毛が成功したのではなくハゲた状態から、ただの坊主頭にしただけなので、今もハゲである事には変わりないんですよね。
そうは言うものの、坊主頭にしただけなのに「一般的にハゲ」というジャンルから自分が外れていると思っている自分がいるのも確かなのです。
気持ちだけでも「一般的にハゲ」のジャンルから飛び出してみませんか?
「ハゲ」そのものはあの頃のように恥ずかしくないのか?
坊主頭になる前の1年前のあの頃は、電車に乗っていても、仕事中も、休日に買い物をしていても、鏡とかガラス窓とかを探して、顔を映してはハゲが露出していないか心配で、何をするにも、なんだかとても恥ずかしかったんですよ。
隠しているハゲを会社の同僚や、取引先のお客さんや、通りすがりの見知らぬ人までも、誰かに見られているんじゃないかって。
今は、丸刈りの3mmの坊主頭なので、ハゲは髪で隠していないから100%完全露出のハゲ丸出しですが、あの頃みたいに恥ずかしい気持ちは不思議と無いです。そりゃ、ハゲてない事に越したことはないですけどね。
とうことは、ですよ!
じゃ、何があれほどまでに、私を悩ましていたのかを考えてみた
ハゲや薄毛そのものも重大な悩みですが、ハゲを隠している髪型がカッコ悪い事を悩んでいたんだろうと思うのです。
自宅の鏡って本当に自分に都合よく映してくれる優秀な奴です。ハゲが見えないようにセットしたての一番キマッテいる髪型の状態を自宅の鏡は見せてくれます。
しかし、外出先での写真撮影は嘘をつきません。急きょ必要になった証明写真や、特に免許証の写真は最悪です。
「こんなに薄くなっていたのか~」「この髪型で外を歩いていたのか~」と愕然とします。
私の場合は、免許証の写真の髪型と今の坊主頭を比べたら断然今の坊主頭の方が恥ずかしくありません。
あなたは、免許証の写真に自信をもてますか?
今は、坊主頭にしてハゲ丸出しなんだけど、風の強い日でも何も気にせず街中を歩け、当たり前ですがコンビニで買い物もできて、女性のとの会話も普通にできるので不便は全くありませんし、薄毛・ハゲで悩んでいた頃のように恥ずかしいと思うこともありません。
美容室で髪型を選ぶ時、少しワクワクしたけどすぐに夢破れる
美容室の待合室に座って、ヘアカタログを見てるとき「おっ!この髪型できそうじゃん」って思った時ってワクワクしますよね。
美容師さんに「こんな感じにできますか?」とカタログを開いて説明した時に、あまりいい返事が返ってこなかった時(現実を知らされた時)夢破れて泣きたくなります。
私も、坊主頭になる前に美容室に通っていた頃は、ネットで薄毛の人にオススメの髪型の検索もよくしました。
でもね、特集したブログの記事に出ているモデルさんがイケメンで全然ハゲじゃないんですよね。あれってどうにかならないもんですかね。
少し違和感を覚えつつも、それでもだんだん都合の良くイメージを膨らして「なるほど!薄毛でも似合うなら次やってみよう」と思っちゃうわけですよ。
そんな画像を真に受けて同じような髪型にしてみたら余計にハゲが目立つようなスカスカの状態になった時には泣きたくなりました。(また夢破れました)
切ってる間はメガネしてないから愕然とする度合いがハンパない
髪を切っている間は、メガネを外しているため、実際に何が行われているか視界がボヤケてカットが終了するまで、どうなってしまうのか、わからない恐怖はどうにかならないものでしょうか?
「終わりましたよ~確認してください」
と言われ、メガネをかけてゆっくり顔を上げたその時の、自らの出来栄え予想と違う自分が鏡に映った時のあの愕然度合いは今思い出しても吐き気がします。
鏡越しに正面から見た時は、何とか見ることができても、美容師さんが「横と後ろはこんな感じです」って自信満々に、四角い大きな鏡を広げて合わせ鏡で丁寧に見せてくれますが、横と後ろが最悪なことが本当に多くて悲しくなります。
「こちらで、大丈夫ですか?」と仕事を終えた達成感に満ちた爽やかな笑みで聞かれ「大丈夫です。ありがとうございました。」と、ひきつった笑顔と震える声で返事を返す。
実際には、大丈夫ではないのでお金を払って美容室を後にしたら、すぐに近くのトイレに駆け込んでリュックから、持参した整髪料を取り出して、自分なりのセットに変える空しさはとても耐え難いです。
多分、自分で手を加えたところで、もともとの毛の密度が変わらないので、横からみたり、後ろからみたら不自然なのでしょうね。
坊主頭にした後の、その寂しさとは何なのか?
坊主頭にすると、まるで「透明人間にでもなったのか?」のような感覚になることがあります。他人の目を気にして生きてきた薄毛・ハゲで悩んでいる間に「見られているかも」「バレているかも」と気にしてきた緊張状態から解放されたにもかかわらず、自分への関心が誰からも持たれなくなったのか?という少し寂しい感情になるから不思議です。
坊主頭は、今は人気がなくても昔からあるトラディショナルな髪型として認知されていますし隠していたハゲも丸出しなので周りからしたら、もうイジリようがないのでしょうね。
ハゲという弱点をさらけ出しているのに、前よりオシャレなメガネにチェンジするなどして、坊主頭にしても尚、逆にイキイキしている姿が不気味に見えるからか、どこかよそよそしいような、距離を置かれているような気がして少し寂しく感じます。
でも、それは本来、心の底から求めていた、誰の目を気にすることなく「自然体」でいることができる証明でもあり、ハゲを髪型で隠していた頃に被害妄想的に恥ずかしいと感じる視線と「この人は坊主頭」という客観的な状態を見ている視線は、同じ自分向けられる視線であっても全く違うものと感じることができます。
もっと分かり易く表現するなら「薄毛・ハゲは凝視されている感覚」それに対して「坊主頭は目を反らされた感覚」この様な反応が、目を反らされた?嫌われた?不快に思った?と思ってなんとなく周りから距離を置かれたように感じて「寂しい」という表現になるのです。
あとがき
髪でハゲを隠していたころは、女の子に好かれたい!って言葉には出さずとも心の中では、切望していました、だからハゲを隠す為に四苦八苦していたのです。
薄毛・ハゲから坊主頭にすると、あの頃のように何故か「好かれたい」って思わなくなるから不思議です。
そりゃ~流行の髪型でいるほうが、絶対好かれるに決まってますから、坊主頭にしたとたん諦めがついて「好かれたい」って気が減退するんですよ。うそっぽいですが本当です。
そんな自然体の雰囲気を醸し出している坊主頭の私達ですが、内心では欲望の塊であるかはさておき、誰からもあまり関心をもたれることもなく、無欲で人畜無害のただの男になってみるのも一興ですよ。
薄毛・ハゲで悩んでいるのならそんな作戦もありなのではないでしょうか?