髪の毛は、自分が思っているより、他人から見ると少ないと思うんです。
薄毛 ハゲに悩んで坊主頭にした自分の事を棚に上げて言うのもなんですが。
今、薄毛 ハゲに悩んでいる位なら、その「髪」を捨てちゃいなっていう話です。
なぜ?そう思うかお話ししますね。
まずは、運転免許証を見てください。
それが(免許証の写真)あなたの客観的に見た毛量です。
ガッカリしませんか?
私が坊主頭にしょうと決断した理由の大部分は、免許証の更新の際に撮った写真の仕上がりが、自分の想像をはるかに超えたハゲ具合に驚愕したからに他ありません。
毎朝、必死にハゲを隠す髪型の為に数種類の整髪料で作り上げる、あの努力が全く生かされてないのにはかなりのショックを受けました。
「鏡の中の俺はもっとフサフサだ!」なのに、なぜ免許証の写真は嘘をつくんだってね。
でも、それを事実として受け入れたとき、髪を捨てて坊主頭になることを決断することができました。
坊主頭になる決断が鈍る理由
坊主頭への決断は本当に難しい。
なぜなら、薄毛・ハゲで悩んでいること事態が本当に辛いことなのに「坊主頭よりもハゲをカバーして我慢している方がまだマシ」って思うほど「坊主頭はイヤ」って思っている人が(私がそうだったように)本当に多いからです。
では、なぜ「坊主頭よりもハゲのほうがまだマシ」と思うのでしょうか?
少し話がそれますが、仏教では「髪の毛=権力や生命の象徴」であり、仏の道に入るには権力や自由はもちろん、自分を飾りたいという欲望や欲求などを捨てなければいけないので、それら(欲望・欲求)を放棄する為にお坊さんになるときには「髪」を捨てて坊主頭にしているのです。
*欲望・欲求
- 髪が生えてくるかもしれない
- 女の子に好かれたい
- 仕事に支障がないか心配
- 世間体
坊主頭はイヤ!理由は女性に好かれなくなる?
私も「好かれなくなる」「女性ウケが悪い」この部分が常に引っかかっていました。男子たるもの異性の意見を気にするのは仕方ないことです。
この「女性に好かれたい>髪を捨てる(坊主頭への決断)」が成り立って、少しでも好かれる要素「髪」をキープしたいと頑なに思っていました。
また、一般的に坊主頭はサラリーマンに向かないという情報もあり、会社の上司や同僚から批判されたくない「社会的な評判>髪を捨てる(坊主頭への決断)」が頭をよぎりますから、自らの幸せ(悩みから解放されること)よりも、ハゲ・薄毛の悩みのストレスをため込む方の選択肢を敢えて選んでいることになります。
なんで自らを苦しめる
ハゲの悩みに苦しんでいるのに、なぜ「髪」を捨てられないのか?
またまた話がそれますが(わかりやすいので)仏教の目標は「苦」からの解放で、その「苦」の元となるのが「こだわり(執着)」です。
いかにこだわり(執着)を捨てられるか、という意味でも、お坊さんになる時に髪の毛を坊主頭にします。
薄毛・ハゲに悩んでも「髪」に執着しているから「苦(悩み)」から逃れたいのに、悩みを解決するよりも世間体を優先してしまう矛盾から、さらに「苦しむ」という悪循環に陥ります。
まとめ「髪を捨てれば楽になるよ」
坊主頭への決断した人のきっかけは、人それぞれだと思います。私の場合は免許証の写真を見てガッカリした事。それが坊主頭への決断のサインでした。
あなたも、免許証の写真を見てください。または、最近とった写真をみてください。
いかがですか?
鏡に写る自分を見て「まだまだ大丈夫」と思ってもきっと幻覚です。(私も心の中でかなり盛られてイケメンだと幻覚をみています。)
私も「髪」に執着して、かなり長期にわたって悩んでいました。
結局、現在は坊主頭になって「髪」を捨てて悩みから解放されて楽になったので、確実に言えるのは、その悩んでいた時間が「もったいない」ということ。
具体的に言えば
- 「髪」について考えることが激減する
- 「髪」自体に使う時間が激減する
- 「髪」に使うお金が激減する
- 「髪」を理由に諦めることが激減する
これだけでも、髪を捨てるメリットを感じます。
あなたも、時期がきたら薄毛・ハゲの悩みから「サヨナラ」ができるかもしれませんよ?