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ハゲから坊主にしても恥ずかしくなんかない髪毛の「煩悩・執着」を断った解脱者なんて超クール

薄毛に悩んでいました。2か月前まで。今はハゲを隠すために長かった髪をバッサリ切って坊主スタイルにしました。

薄毛の時の悩みとは何なのかを、改めて考えています。私の過去の悩みを通して現在進行形で薄毛や、ハゲで悩んでいる方の悩みから少しでも早く解放されるように、書いていこうと思います。

私のこの十数年は、髪の毛の事で悩んでいることが、ほぼ日常でしたから坊主スタイルにして「ほぼ、全く違う心境」で過ごす毎日が、不思議な感じです。

「ほぼ、全く違う心境」とは、薄毛・ハゲという根本的な事実は何ら変わっていない部分が「ほぼ」部分で、髪を伸ばしてハゲを隠していた頃とは「全く違う心境」という意味です。

憑き物を落とし「執着」しないということ

薄毛で悩んでいるあなたが、このまま髪型を駆使してハゲを隠し続けるか?それとも、坊主にするか?を迷っている背景には、坊主にしたら周りに対して「薄毛から坊主にして申し訳ない的な気持ち(自己否定)」になる「余計にいじられる」って思っていませんか?

坊主になる前の私もそう思っていました。「坊主にする」それは育毛を放棄した最終手段であってギブアップだと、その後はハゲ・薄毛をさらして生きる地獄だと。

薄毛から坊主スタイルにして2か月になりますが、確かに最初は照れくさかったです。自分でも若干の違和感はありました。

照れくさいのも、最初に顔を合わせた時だけで、あっという間に慣れます。ですから「生き地獄」でも「申し訳ない」とも思いませんでした。

むしろ、憑き物が落ちたというか、せいせいしたというか、精神的にも、ヴィジュアル的にもポジティブに作用していることは間違いありません。

今思えば、その憑き物は、若さの象徴であると思っていた「髪の毛」が失われ、老いていくことの恐怖に時間や思考を費やしてしまったのでしょう。

まさに、髪の毛1本1本に「執着」していました。

突然、話は脱線します。その後「執着」の話です

薄毛の人が坊主スタイルになったらそれで終わりではありません。薄毛・ハゲを理由にしてやれなかったことがあるはずです。

そこで、坊主スタイルが似合いそうな場所ってどこだろう?と考えました。

坊主スタイルが、似合う場所はお寺かな~

お寺であれば、お坊さんのヘアスタイルは「剃髪」ですので、違和感がないし、女子の間で座禅やお寺巡りを楽しむ「寺ガール」が増えているようですので、坊主スタイルを最大限に利用して、日本の文化を学びながら、出会いがあるかもしれないと、罰当たりな考えが湧いてきました。

寺ガールの事を考えながら、お寺の事についていろいろ調べていたら、薄毛の悩みと坊主スタイルの関係が明らかになり、救われた気持ちになりましたのでシェアしたいと思います。

仏の教えの力を借りて自信を持って坊主スタイルを推奨

寺ガールのことを考えながら、仏教や、お寺の事についていろいろ調べていたら、仏教の教えからみた、老化や髪の毛についての解釈や、お坊さんが何故、頭を剃髪するのかについての理由等を知る事ができました。

「仏道とは何か?」と訊ねるならば、「すべての執着を断つ道である」と定義することができるそうです。

私達が、薄毛・ハゲに悩んでいた事が実は、髪の毛に対して知らず知らずに過剰に「執着」し、失われていく髪を残そうとした結果「執着」を捨てることができずに、悩みを複雑にしていた点と、坊主にしたら「ハゲてる部分が丸出しになったのに【ほぼ、全く違う心境】になった」のかが結び付きました。

偶然ですが、薄毛に悩んだ挙句に、坊主スタイルにするという自分が起こした行動と、その後に感じた不思議な感覚が「執着を断つ」ということで説明が付いたことで腑に落ちました。

「執着」は仏教を学ぶ場合、必ず耳に入る用語です。執着は捨てるものです。執着から完全に心が自由になった状態は、涅槃・解脱と言うのです。ということは、仏教を実践する人々は、執着を断つことに挑戦しなくてはいけないのです。「仏道とは何か?」と訊ねるならば、「すべての執着を断つ道である」と定義することができます。

パティパダー巻頭法話:苦しみをつかさどる執着より

薄毛の私達が、何故に悩むのか?苦しんでいるのか?漠然と悩んでいるだけで答えが見つかりませんでした。

育毛の成果もままならず、抜け毛が増える等、複雑な心情が渦巻き、出口の見えない迷路をさまよっているようでした。

何故、出口が見えなかったのでしょうか?

ハゲの悩みが深くなる原因は、髪の毛への「執着」だった

それは、「執着」という観点から考えた場合、年を取るとともに、自分の体の変化である現実(薄毛になっていく・ハゲてくる)を受け入れることができず、髪型を工夫したり、帽子を被る等して隠すということです。

自分の髪がフサフサで色々な髪型を楽しんでいた若い頃や、周りのフサフサの人や、モテモテのイケメンが羨ましい、というようなものに囚われてしまったのです。

私も、「周りの人に格好よく思われたい」「育毛に成功していつかまたモテるようになるぞ」といように、「見栄」・「虚勢」にしがみついてしまうという「執着」が薄毛の悩みを助長してより自分を苦しめてきました。あなたはいかがですか?

薄毛の進行は止めようもなく、毎朝の髪型のセットに係る時間・労力・育毛にかかるお金も、どんどんと増えていくこととなり、どうしようもなくなって私は坊主スタイルを選択しました。

このように変化の現実・事実に逆らって抵抗してしまうことが「執着」という苦しみの原因となって私達を苦しめると、仏教の観点から薄毛で悩む私達を説明してくれてます。

煩悩と執着の原因は、現実・事実・変化を認めずに抵抗しているということであり、その抵抗は、恣意的な自己都合・自己満足・独り善がりという「欲」が引き起こしているのであります。よって、その「欲」を少なくしていくことが「煩悩」・「執着」を無くしていく上で大切なこととなります。
また、あらゆる全てのものが、変化していく中にあるという「諸行無常」の理解も当然に必要であり、この世におけるものは、変わらないものなど無く、絶えず移ろい続けるという不安定なものであり、何も頼りにはならず、何も期待することもできないのであります。

「諸行無常の現実・事実を真に認めること、受け入れること」
「余計なことを妄想しないこと」
「何にも囚(とら)われないこと」
「何にもしがみつかないこと」

これらの実践が、苦しみから解脱する上で重要なことであると考えています。

パティパダー巻頭法話:苦しみをつかさどる執着より

坊主スタイルは「煩悩・執着」を断って心が、完全に自由になった「解脱者」なんだ!

薄毛で悩んでいた人が、もうモテなくてもいい、カッコよく思われなくてもいい、と煩悩を捨て、髪の毛への執着を断って、坊主スタイルにして心が自由になったなら、ヘアスタイルの「解脱者」となれます。

解脱者とは・・・・仏教においては、煩悩による繋縛から解き放たれて、全ての執着を離れることで、迷いの苦悩の世界から悟りの涅槃の世界へと脱出することを指す。 ヒンドゥー教において用いられている究極的な意味合いにおいては、サマーディ(仏教の漢訳三昧)に入定し、サンサーラ(saMsAra 仏教の漢訳輪廻)の迷いの境界から脱することを指す。
解脱 – Wikipedia

まとめ

私たち薄毛に悩み坊主スタイルになった人というのは、ある意味「解脱者」だということがわかりました。これは、ものすごい勇気をいただいたと思います。

私たちがハゲで悩むのは、人間として誰もがもつ、煩悩が髪の毛に執着させていたに過ぎず、それは当たり前の事でした。

理由はどうあれ、執着していた髪の毛を坊主スタイルにして、憑き物を落とし髪の毛への執着を断つことで、心が自由になったならそれは、まさに「解脱者」の境地です。

朝の髪型のセットも強風にも人の視線からも解放され自由になれました。

坊主スタイルを笑う人や、奇異な目で見る人がいたら、今の私だったらこう考えます。

私たちが、以前そうであったように、その人たちは「煩悩」や「執着」の真っ只中にいるからであって、髪の毛に対して執着を断った私たちの心境(解脱者の心境)など到底わかるはずもないと思えば、もう周りの反応など少しも怖くありません。

煩悩とか、執着とかを意識して坊主スタイルにする人は、本当のお坊さんになろうと思う人だけだと思います。

薄毛で悩んで坊主スタイルになった人は、普通に生きてたらなかなか捨てることができない、煩悩・執着をバリカンで髪の毛と一緒に捨ててしまった、何ともカッコいい決断をした自分にもっと自信を持っていいはずです!

坊主スタイルにしたから、寺ガールとお近づきになりたいという煩悩の塊となって調べたお寺の事が、ハゲや薄毛の悩みも、それに使ってきた労力も、坊主スタイルにする意味も「執着を断つ」で腑におちました。今後の生き方を楽にしてくれそうです。

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